38HR学級通信「おさむ」No.12
今から23年前のこと。
1988年4月21日、突然お母さんを亡くした生徒がいました。
その時に学級通信に書いた詩です。
その思いを今、かみしめています。
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どんなに涙を流してみても 涙のとまらない時がある。
どんなに悲しんでみても ぬぐいされない悲しみがある。
どんなに悔やんでみても 悔やみきれないことがある。
誰もに平等に分け与えられているはずの生が
突然 奪い取られてしまった。
人は嘆き、悲しみ、苦しみ、涙を流す。
いなくなってしまった人への悲しみと、
後に残されてしまった人への悲しみと。
悲しんでも悲しんでも、どんなに悲しんでも、
悲しみを分かち合えない悲しみ
悲しんでいる姿を見ていることしかできない悲しみ
ただ、ただ、遠くで見ていることしかできない悲しみ
苦しむことによってしか、苦しみから救われず、
悲しむ事によってしか、悲しみからは逃れられず…。
がんばれ!
悲しみと真正面から向き合う中で、
また、立ち上がる力を自分の中にたくわえるために。
もう一度、笑顔を取り戻すために。
がんばれ!
僕たちができることは何もない。
ただ、遠くで見ていることと「がんばれ」と言ってあげること。
そして、自分自身ががんばること…。
悲しいだろう、
苦しいだろう
それでも、がんばれ!
(38HR学級通信「おさむ」No.12より)
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……学級通信にはさらに、こんな事を書いてあった。
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なんと言ったらいいのか、言葉が見つかりません。
「つらい」
その一言に尽きます。
しかし、一番辛いのは本人であり、周りの人間は、辛さ、悲しみを分かち合うことはできません。本人がその悲しみを乗り越えようとする姿を黙って見ているだけです。
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、最後、行き着くところ、人間は「一人」です。
人と、それぞれの悩み、苦しみがあります。たとえ親兄弟であれ、どんなに仲の良い友達であれ、同情することはできても、その人にとって代わって苦しんであげることはできないのです。
「苦しいでしょうが、がんばって!私もがんばるから…」
そういう所から人と人との心の結びつきは生まれてくるのでは、と思います。
みんな悩んだり、苦しんだりしているのです。
自分よりももっともっと辛い人だって、がんばっている。
そう思って、がんばることにした僕たち、まわりの人間にできることはありません。
そしてそれが一番大切なことだと思うのです。
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……自分の有り様、生き方を色々考え直すきっかけが、最近多くあります。
昔、昔…生徒達に向かって偉そうに言ってきたこと、「言葉」の数々を、一つ一つ拾いあげています。
……自分に恥ずかしくない生き方をしたい、そう思います。