心の傷
「体罰はなぜいけないか……?」「……それは効果があるからです」
新米教師だった僕を育ててくれた先輩が教えてくれた。
以来、この言葉の持つ意味をことある毎に人に伝えてきた。
昨日の浜北特別支援学校の先生達にも、このことについて触れた。
そして、更に付け加えた。「苦痛や恐怖心は本人の思考をとめてしまいます」と。
体罰や威圧は、痛みや恐怖により相手の行動をコントロールする。
そして、身体的な痛み以上に、心に深い傷を彫りつける。
何よりも恐ろしいことは、加えた側は、痛みを理解できないことだ。
必ず口にする。
「そんなつもりはなかった」と……。
何故自分が怒られているのか? その理由を考える前に、怒声が浴びせられる。
身体は硬直し、相手が思うような行動に移せない。
相手はイライラし、更に怒りをエスカレートする。
ただ、ただ、恐い、という感情しか生まれてこない。
注意ではなく、感情をぶちまけているだけ……。
一度染みついてしまった恐怖心はなかなかぬぐい去ることはできない。
何かあったら、また、怒鳴られる! たたかれる! そんな思いにしばりつけられた心を解きほぐすことは、とても難しい。
相手の心からの謝罪と、二度と自分を傷つけないという保障と安心感。
それが伝わってくるまでは決して心の傷は癒されることはない。
子育てをする中、ことある毎に我が子が傷つけられる様をつきつけられてきた親にとっては、「またか!」と心を固く閉ざしてしまう。
本人もつらいが、傷つけられた我が子を見つめる親も、また、たまらなくつらいのだ。
そうした傷つけられた人の思いは、どうしたら伝わるのだろうか……?
普通中学校の支援クラスのヘルパーの仕事をさせていただいています。
かなり重度な症状の生徒もいて、軽度な生徒は授業も校外学習も、出来ない生徒優先の指導に不満を感じ、このままだと自分の進路が制限されてしまう、と不安を持っています。
しかし、重度な生徒の親ほど頑なで、我が子を発達障害と認めてはくれず、、、。
学びたい、社会に出る準備をしたいと思っている生徒は放置状態なのに、なぜ我が子の障害を受け入れ理解してくれてないのだろう、そしたら生徒はもっとのびのび才能を伸ばす機会があるだろうに、と思ってやみません。
特別支援学校なら、親子で障害を認識し、社会に出て働くと教師、保護者、生徒の気持ちが寄り添う事が出来るのではないか?と思い、特別支援学校での仕事を希望しています。
中学生で、足し算引き算も出来ず、字も書けず読めず時計も読めず、言語障害もあり、時間の概念がないので授業中に寝てしまう、おもらしをする、通学路も分からず度々迷子。母親は専業主婦なのに送迎もしない、参観会にも来ない、たまのお弁当はコンビニ弁当移し替え。 育児放棄としか思えず、保護者の無理解に憤りを感じます。
そんな自分が特別支援学校で働く資格があるのでしょうか?
生徒は愛おしい。 しかし、無理解な親に憤りを感じる自分もいます。