M君

 全く突然の死の知らせだった。
 つい3週間前、授業の中でM君の働いている姿を紹介したばかりだった。
 その時「働く姿が『カッコ良い』と思いました」という声が何人もの学生から寄せられ、彼らの言葉を僕はとても嬉しく聞いていた。

 水曜日の授業の時、M君が亡くなった事を伝え改めて彼が働いている姿を紹介した。
 その時、「彼が一生懸命に仕事に向かっている姿は、他の誰よりも僕たちジョブコーチがよく知っていると思う…」と言おうとした途端、言葉に詰まり、それ以上話ができなくなってしまった。


 M君とのつきあいは、今から6年以上前のこと。
 地域で暮らすようにしたい、そのためには、何とか働いて収入を得られるようにできないだろうか? 入所施設の職員のOさんから相談を受けたことが始まりだった。

 養鶏場での鶏糞の袋詰めや卵のパック入れ…M君達との悪戦苦闘の日々が続いた。

 なかなか上手くいかないことも多かったが、それでも毎日、毎日、一生懸命に働き続けた。
 そんなある日、事業所の都合で突然仕事が打ち切りになってしまった。

 他の二人とは違い、M君だけは、僕と顔を合わせるたびに「おさむさん、働きたい」と言ってきた。なかなか仕事が見つからなかったとき、OさんとM君と三人で行った回転寿司。
 その時も、何回も「働きたい」と話していた。
 何がM君に「働きたい」と思わせたのかはよくわからなかったのだが、「働きたい」という気持ちだけはとても伝わってきた。

 その後、A型のお好み焼き屋「こなこな」でM君は働く事になった。
 洗い場での食器洗いが、彼の新しい仕事となった。
 カウンターに座っていると、M君の後ろ姿しか見られなかったが、お好みを食べながら、彼の背中を見ているのが好きだった。

 最近のこと、彼がお客さんに出すコーラを作っている所を見た。
 思わず、おーっ! スゴいじゃん! と思うと同時に、写真に収められなかったことを悔しく思った。それでも、また、次の機会に撮ってやるぞ、とその時は思ったのだが…。
 「次」が二度とないことがたまらなく悲しくつらい。

 ご遺族と職員のOさんに渡すためにM君の働いている姿をCDに焼いたのだが、やっぱり、彼の仕事に向かう姿はとても素敵だ。
 そんな姿を見ていて涙が止まらなかった。

 37年という生涯と共に、M君の働く姿を見ることは二度とできなくなってしまった。
 それでも、彼が働く事に関われたことを何よりも嬉しく思うし、決して忘れることはない。
 そして、僕はこれから先も、M君の姿を多くの人に伝えていくと同時に、一人でも多くの人の「働きたい」に関わっていきたいと改めて思う。

 M君…。
 君には本当にたくさんの事を教えてもらった。
 本当に、本当にありがとう…。

 どうか安らかにお眠り下さい。

 2012年11月15日

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