心のやり場

 次から次へとこぼれ落ちていく記憶。
 忘れてはいけない、という思いが次々と新しいメモや付箋や書き込みを生んでいく。
 散乱したメモは何が最新なのかがわからず、それがまた、記憶を混乱させ脳を疲れさせる。
 上手くいかないとき、できていた頃の話になっていく。
 彼に関わる誰もが、そうした本人の状況と新しい記憶の補完手段を身につける必要性を痛感している。
 本人も感じてはいるのだろうが、これまで培ってきた人生が今の自分を受け入れることや、次に進むことを頑なに拒んでいる。
 そのような中、着実に「期限」が迫ってくる。

「デッドラインはいつですか?」
 支援を依頼される時に、必ず確認する事柄。
 相談を受けたときには、すでにそのデッドラインが目の前に迫っていることがある。
 本人・職場双方が少しでも納得できる落とし所が見つかるかどうか?
 少しでも傷を浅くする方法を考えるしかない場合もある。
 そして、何も出来ずにただただ「期限」を待つ場合も。

 悲しみの5段階、「否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容」を思い起こす。
 この最後の「受容」という言葉。様々な場面で耳にする言葉だが、「受け入れ、容認する」ことは生やさしいことではない。
 自分自身、未だに受容できない部分を持ち合わせている。自分の場合は、「受容できていない自分がいる」ということを認めているという段階であり、その事を思うと、気持ちが落ち着きをなくし、沈んでいく。だから、目を背けている、という状況なんだと思う。

「目を背けられる」のは、問題を先延ばしにしているだけであるが、それでも「先に延ばす」ことで日々の生活が大きく崩れることにはならない。だから「目を背ける」ことができる。
 しかし、現場ではそうはいかないことが多い。
 先延ばしができない、待ったなしの期限がまず先に来て、それにあわせて変わることが求められる。
 様々な思い・感情をすっ飛ばして、「出来るか出来ないか?」「イエスかノーか?」という二者択一が迫られる。

 人生の半ばで、突然自らの身の上に降りかかった出来事。
 復職には大きなハードルがあり、障害故に元の仕事に戻れないことがある。
 その時に迫られることは、仕事を辞めるか、今までやっていた仕事とは全く異なる、「負荷のかからない簡易な仕事」に切り替えるか?
 どちらにしても、リカバリーの4段階で言われる、まず第一の「希望」が見いだせるのか?
 その場では何ら「希望」が見いだせない場合、どうするのか?

「専門家としての意見はどうですか?」
 その問いに答えなければならない時、心の置き場所が見つからず、あちこちさまよっている自分がいる。
 そして、この気持ちはどれだけ経験を積んだからといって、決して慣れることはない。
 それでも「問い」に対する「答え」を出していかなければならない。
 自分の言葉の重さ、厳しさ、つらさ、悲しさ…様々な気持ちを抱えながら……。

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