今まで、ブログとHPを別々のサイトに掲載していましたが、この4月からHPのリニューアルを行い、あわせて、そちらにブログも記載していくようにしました。

これまでの記事をどうしたら移行できるか手をつけられていませんので、今しばらくこちらはそのままにして、リンクを貼るような形で掲載していきます。

当初、3月27日(日)に予定していました、第5回「ジョブコーチな日々」ライブ配信を以下の日程で行います。今回のテーマは今週、何とか年度内に終えることができた「職場適応援助者養成研修を振り返る」です。修了生のレポートをもとに色々と思うところを。

もし、お暇な方はどうぞご覧ください。

3月25日(金)19時~「ジョブコーチな日々」-その5-

これまでのライブ配信は以下からご覧になれます。

最近、言葉にまとめられない思いに随分とぶつかる。

咄嗟の判断を求められたり、緊張感のある場で、即座に答えを求められたり、という場面が多く、消化不良の日々が続いている。

こうして、パソコンに向かっていても、ふと気がつくと眉間にしわを寄せて、ディスプレイに向かっている自分にふと気がつく。

いかん、いかんと思いながらも、眉間には再びしわが寄っている。

答えにならない答えをぐるぐると思い巡らせている。

同じ場所の堂々巡りであったりする。

自分の足りない部分を思い知らされたり、「あのときああ言っておけば」とか「言いたかったことは違うんだよ!」と布団に入っても、色々と考えばかりが頭をめぐり、スッキリと1日が終わらない日が続いているかのよう。

1日が1日で区切ることができず、ずっと、ずっと、同じようなことをエンドレスに考えているかのようであり、切り替えがうまくできていない自分を感じる。

次々と降りかかってくる新しい課題に対し、頭の切り替えが追いついていかない。

答えを求められても答えられず、また、言いたいことの半分も言えず……。

いかんなぁ、と思いながらも、今日できずに明日に持ち越したことが多くて、どこかで開き直るしかない、という今日この頃。

ちょっとお疲れですね。

CEF2022

3月12日、13日は、「Conference of Employment First~質の高い障害者雇用を考える会議~」略して「CEF2022」が開かれます。

今年こそ対面で!と意気込んでいましたが、残念ながらウェビナーを使ってのオンライン開催です。

障害者雇用や就労支援のあるべき将来に向けて、その本質を確認し、具体的な方法や技術について情報交換し、制度や施策について考える会議です。

登録をすれば、2日間視聴は自由にできます。是非、ご参加ください。

今回は、配信ホストを担当しますので、顔見せはありませんが(笑)、その分、各分科会の登壇者などとの打合せをしていると様々な話が聞くことができ、とても勉強になります。

申込はこちらからです。→ Conference of Employment First ~質の高い障害者雇用を考える会議~

 一年前から比べ、ヘモグロビンA1Cの値は11から6.0になりました。
 体重もこの一年で15kg以上落としました。
 一年前、このままじゃぁとてもいけない、というところで今年を迎えました。
 そして、一年が過ぎようとしています。

 コロナウィルスも大分落ち着いてきたかと思ったら、ここにきてのオミクロン株の影響。
 来年、1月・2月のジョブコーチ養成研修への対応も検討しないといけない状況です。
 それでも、何かしらジタバタしていないのは?
 焦ってみたところ、どうなるものでもない。その時その時に、一番よいと思ったことをやってみるしかない、それで上手くいかなければ、また、他の方法を考えればいい、ただそれだけのことだと思うようになりました。

 開き直りかもしれないけれど、自分たちの思惑通りに物事がすすんでいくわけではない。
 自分にできることも決してたくさんあるわけでもなく、不器用なんだと思います。
 格好つけてみたって、すぐに見透かされるし…。

12月14日滋賀県草津市早朝ラン

 今年の一月から、少しずつ、仕事が終わったら歩くようにしました。
 走るなんてとてもとても。
 2月頃から、少しずつ走り始めたけれど、4~5kmをゆっくりゆっくり。1kmもいかないうちに息はあがるし、ドスドスと音を立て、巨体を揺すりながら、走ってるんだか歩いているんだかわからない有り様でした。
 山歩きを始めて、少しずつ体力もついてくると、今度は調子に乗って走って、膝やふくらはぎを痛める。
 それでも、少しずつ、少しずつ、走ることが苦痛でなくなり、いろんな事を忘れてただただ走ることが楽しくなっていきました。

2021年月間走行距離
2021年月間走行距離

 走らない理由は実にたくさんある。寒いから、忙しいから、仕事があるから、疲れているから、調子が悪いから…。
 走ることに理由は1つ。走ると決めたから。それだけです。

 2022年も走り続けたいと思います。
 ゆっくりでもいいから、走る。そして走り続ける。
 2021年には到達できなかった月間300kmをまずは目指す。
 そして、レースが開催されるようになったら、フルマラソンにチャレンジしたい。
 浜名湖一周にもう一度行きたい。等々…

 仕事や人生も同じ。
 これからも走り続けていきたい、そう思います。

2021年12月31日
 

 次から次へとこぼれ落ちていく記憶。
 忘れてはいけない、という思いが次々と新しいメモや付箋や書き込みを生んでいく。
 散乱したメモは何が最新なのかがわからず、それがまた、記憶を混乱させ脳を疲れさせる。
 上手くいかないとき、できていた頃の話になっていく。
 彼に関わる誰もが、そうした本人の状況と新しい記憶の補完手段を身につける必要性を痛感している。
 本人も感じてはいるのだろうが、これまで培ってきた人生が今の自分を受け入れることや、次に進むことを頑なに拒んでいる。
 そのような中、着実に「期限」が迫ってくる。

「デッドラインはいつですか?」
 支援を依頼される時に、必ず確認する事柄。
 相談を受けたときには、すでにそのデッドラインが目の前に迫っていることがある。
 本人・職場双方が少しでも納得できる落とし所が見つかるかどうか?
 少しでも傷を浅くする方法を考えるしかない場合もある。
 そして、何も出来ずにただただ「期限」を待つ場合も。

 悲しみの5段階、「否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容」を思い起こす。
 この最後の「受容」という言葉。様々な場面で耳にする言葉だが、「受け入れ、容認する」ことは生やさしいことではない。
 自分自身、未だに受容できない部分を持ち合わせている。自分の場合は、「受容できていない自分がいる」ということを認めているという段階であり、その事を思うと、気持ちが落ち着きをなくし、沈んでいく。だから、目を背けている、という状況なんだと思う。

「目を背けられる」のは、問題を先延ばしにしているだけであるが、それでも「先に延ばす」ことで日々の生活が大きく崩れることにはならない。だから「目を背ける」ことができる。
 しかし、現場ではそうはいかないことが多い。
 先延ばしができない、待ったなしの期限がまず先に来て、それにあわせて変わることが求められる。
 様々な思い・感情をすっ飛ばして、「出来るか出来ないか?」「イエスかノーか?」という二者択一が迫られる。

 人生の半ばで、突然自らの身の上に降りかかった出来事。
 復職には大きなハードルがあり、障害故に元の仕事に戻れないことがある。
 その時に迫られることは、仕事を辞めるか、今までやっていた仕事とは全く異なる、「負荷のかからない簡易な仕事」に切り替えるか?
 どちらにしても、リカバリーの4段階で言われる、まず第一の「希望」が見いだせるのか?
 その場では何ら「希望」が見いだせない場合、どうするのか?

「専門家としての意見はどうですか?」
 その問いに答えなければならない時、心の置き場所が見つからず、あちこちさまよっている自分がいる。
 そして、この気持ちはどれだけ経験を積んだからといって、決して慣れることはない。
 それでも「問い」に対する「答え」を出していかなければならない。
 自分の言葉の重さ、厳しさ、つらさ、悲しさ…様々な気持ちを抱えながら……。

配信ホスト
登壇者の皆さん

 1月30日の土曜日、午前・午後とオンラインのセミナーを開催した。
 午前は、「障害者雇用推進セミナー」と題しての講演会。
 午後は、くらしえん・しごとえんの修了生を対象としたフォローアップ研修。
 このフォローアップ研修は、これまで毎年一回開催し、今年で14回目になる。しかも、今年はコロナ禍ということもあり、当初の11月末の開催を延期し、オンラインでの開催ということになった。

 zoomを初めとしたオンライン・オンデマンドなどは、大学の授業や様々な研修や研修のお手伝いなどもしてきているので、自分としては、それなりになんとかなる、できると思っている。また、昔、若かりし頃は、コンサートなどのPAなどをしていたので、音響やミキサーなどは好きな方だから、それほど苦ではない。

当日のデスクトップ!

 たが、主催者としての開催は、今回が初めてとなり、一番の不安は、法人全体としてのオンライン研修のスキルがまだまだで、自分以外の事務局スタッフとの連携がどこまでできるのかが、一番の不安だった。
 トラブル対応能力が一番大切なのだが、法人としての経験が蓄積されていないということだ。
 自分一人でやった方が、どれだけ楽か、と思いつつも研修は進んでいった。

 しょっぱな、自分の挨拶が終わり、「それでは、トップバッターの○○さん……」と言ってふとみたら、○○さんが落ちていていないではないか!
 ついさっきまで、ちゃんといたのに!
 とにかく、少し場をつながねば……。という始まりだった。
 すぐに、再接続され、その後、それなりに進んでいった。
 セミナーの感想も、それなりの評価をしていただくことができ、ホッと胸をなで下ろしている。

 午後は、初めてのオンラインでのフォローアップ研修。
 九州、四国、関東等、普段はなかなか来られない人たちの顔を見ることができた。
 ブレイクアウトルームでの自己紹介。
 企業在籍型と訪問型ジョブコーチ、それぞれの実践報告
 その後、各地からの活動報告。
 時間はあっという間にすぎていった。
 もっと個別に話しも……、という思いもあったが、それはまた、次の機会にゆずっていこう、ということになった。

OBSstudioソフト+カウントダウンタイマー

 コロナ禍にあって、対面で話しをすることがぐっと減ってきたなか、改めて「対話」をどう考えていくのかが一人一人につきつけられているんだと改めて感じた。
 そして、オンラインについては、もっと自分自身が理解を進め、それこそ、パソコンやオンラインなどからは遠くに追いやられてしまう人たちに、わかりやすく伝えられるようなスキルが求められるんだなぁ、と思っている。
 まずは、自分たちが、使う機会を増やし、「面白さ」や「便利さ」を実感することなくしては、今の自分たちの仕事や、関わっている人たちとの利用方法などは思い浮かばないと思う。

 否が応でも時代は変わり、コミュニケーションのあり方も変わってくる。
 ならば、仕方なく使うのではなく、また、拒否するのではなく、少しでも面白さや可能性を見いだしていかなければならないと思う。

 幸いなことに、新しもの好き、機械好きの自分にとっては、できるだけ多くの人たちにわかりやすく伝えていくことが、まず、為すべき事だと思う。
 事務局もスタッフの、終わった後のホッとした顔がなんとも言えないし、面白いね、という言葉が何よりも大きかった。
 自分としては、zoomだけではなく、OBSというソフトを実践でも十分に使うことができたのが、とっても満足している。
 また、zoomのミーティングとウェビナーをどのように使い分けていったら良いかも実践的にイメージが着いてきた。これまた、満足。

 さて、次は職場適応援助者養成研修。そして、CEF2021へと続いてく。
 夜な夜なパソコンに向かって、セッティングやマニュアル作りの日々は終わることはない……。

北風の足音の中に
春の訪れを聞き分ける
そんな耳を持ちたい

 美女の舞踏の中に
 骸骨の動きを見定める
 そんな目をもちたい

  我を忘れるほどの窮境の中にあっても
 「はい」と「いいえ」を決して間違えて発音しない
  そんな口をもちたい
 
    (むのたけじ 詞集「たいまつ」より)

後、数時間で2020年も終わろうとしています。
今年一年、「コロナ禍」という言葉に全てが込められているように思います。
そして、今までの当たり前としてきたことを改めて突きつけられる一年になりました。

「できなかったこと」「やれなかったこと」が沢山あります。
でも、よくよく考えてみると「やれなかった」というよりも、時代や社会や他人のせいにして「やらなかった」ことが実に多かったと言う思いがします。
自分の弱さから目を背け、後回ししてきたことが。

大晦日、東京では感染者が1,300人を超えたとの報道がなされました。その裏には、年末年始もなく医療現場で働く多くの人たち。
更には、仕事や家族やたくさんのものを失った人たち。
そうした人たちのことを決して忘れてはならないと思います

新しい年も、先行きが不透明な中、手探りの状態が続くのだと思います。
それでも、そんな時代だからこそ、しっかりと未来を見据えていきたいと思います。

2020年12月31日

昔の事務所

 気がつけば今年も後2ヶ月となってしまいました。今まで以上に駆け足で時間が過ぎて行ってしまった感があるのも、コロナ禍にあって、身動きがとれず今年は何もしていないじゃないか、という焦りが強いからでしょうか?
 それよりも、今日、11月1日は、くらしえん・しごとえんが「法人」として人格を与えられた日です。14歳、ようやく中学生くらいになれたのでしょうか?

 お節介(笑)なFacebookが昔書いた記事を教えてくれました。
 まずは、2011年11月1日、「地域における就労支援のあり方に関する研究会2次」だったんですね。この年の暮れ、血糖値の急上昇による緊急入院をしたのでした。

「間も無く東京。第3回の地域における就労支援のあり方に関する研究会。今日は養成研修機関としてのヒアリングです。自法人の話なら好き勝手に話せるのですが。(笑)でも、ヒアリングの内容自体を連絡会として、検討する事自体、凄いことだと痛感してます。たとえ、時間がかかっても…。」

それから4年前の2016年の11月1日には、法人設立10年の記事…
……「ジョブコーチであること」を基本として法人を立ち上げ10年が経ちました。これまで支えてくれた皆様に心からお礼申し上げます。 今までがそうであったように、これからも一歩ずつ前に進んでいきます。(2016年11月1日)いつの間にか…、というのが正直な気持ちです。当たり前のことですが、色々なことがありました。それでも、「ジョブコーチであること」「ジョブコーチとして独立、自立した存在であり続けること」を基軸にして今日まできました。特に経済的な自立、職業としての自立はまだまだ手探り状態が続きます。ジョブコーチもまたしかり。ジョブコーチをジョブコーチたらしめるものは何か? 理念も制度もスキルもまだまだこれからです。それでも、目をそらすことなく真正面から向き合っていけば、必ず何かが見えてくると思います。これからもよろしくお願いします。……

 ここにきて、見えないながらも次に向かってようやく一歩、足を出したような感じがします。でも、まだまだ恐る恐るです。
 とてつもない孤独感や孤立感にさいなまれることもあります。
 思考がどんどんマイナスに向かうこともあります。
 そんな中、体力だけは確実に落ちているのがわかります。
 小走りが怖くてできなくなりました。(笑)
 片足立ちで靴下をはく時に随分とよろけるようになりました。

 それでも、この法人と一緒にもっともっと成長していきたいと思うのです。

関係各位

特定非営利活動法人くらしえん・しごとえん
代表理事 鈴木修

 去る9月1日に突発性の血栓症血小板減少性紫斑病のためご逝去されました髙草志郎様のご葬儀のご連絡です。
 ご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。

日時:前夜式 九月七日 午後六時から
   告別式 九月八日 午後十二時半から
場所:京急メモリアル金沢文庫斎場
   (京浜急行線金沢文庫駅より徒歩一分)
   神奈川県横浜市金沢区谷津町三八四
   電話:045-784-9833
   ファックス:045-784-6919
喪主:髙草惠利 髙草雄士
 
 ※コロナ感染予防対策のため マスクの着用をお願い致します
 ※ 駐車場には限りがございますので 近隣の駐車場もあわせてご利用ください

 お昼前、東京から連絡が入った。
「髙草さんが昨日の夕方、亡くなりました」とのことだった。
 一瞬何のことかわからず、思考が止まり、言葉もなくしてしまった。
「詳しいことがわかりましたら、また連絡します」と電話が切れた。

 夕方、ご子息から連絡があった。
「父の手帳をみていたら、鈴木さんのところの予定が入っていたので…」と。
 10月の養成研修の講師の事だ。
 髙草さんが「仕事を手伝ってもらっている」と浜松に連れてきた際、三人でウナギを食べに行ったことが脳裏をよぎった。
 親子で同じ仕事に向かっている姿を羨ましく眺めていた。

 昨日の午前、少し体調が悪い、と言う状況だったのが、病院に行き容態が急変し、そのまま亡くなられたとのこと。
 ついこの間も、養成研修の事で話をしたばかりだった。
 農福連携の事で力を貸してほしいから、今度詳しく話をしたい、とも行っていたのに……。

 髙草さんとのつきあいは、2011年、髙草さんがひなりの社長に就任してから始まった。
 特に社長在任中の5年間は、実に多くのことを話したし、一緒に現場を共有した。何よりも「企業」の厳しさや考え方をたくさん教えてもらった。
 ひなりをやめ、一般社団法人ノーマポートを立ち上げた後も、法人の理事として、また、養成研修の講師として、年に何度もお会いし、電話で連絡をとっていた。

 遺されたご家族の悲しみはいかばかりかと思うが、それ以上に髙草さんはさぞかし無念であったと思う。

 もっと色々なことをやりたかっただろう……
 まだまだ色々なことを教えてほしかったし、一緒に新しいものを作り上げたかった。

 痛恨の極み……。

 ただただご冥福を祈るばかり……。

2015年6月17日 ワークサポート課の研修の一コマ
2019年10月27日 職場適応援助者養成研修(岐阜)にて

 色々な場面で「怒り」を覚えることがある。
 ジョブコーチ支援の現場では、どちらかというとその怒りを飲み込む事が多い。
 そして、その「怒り」の持って行き場や処理の仕方に悩み苦しむ。

 逆に、一方的に「怒り」をぶつけられることもある。
 いきなり「がツン」と頭を殴り付けられる。全く予期もしていない、不意打ちである。
 その場では、相手の怒りの本質も分からずに、とりあえずは怒りを拡大しないように「すみません」と頭を下げる。
 しかし、時間が経つにつれ、なぜ、怒りをぶつけられないといけないのか、どうしても納得できない時がある。もっと言えば、すみませんと謝った自分自身に腹が立ってくる事もある。

「『怒り』というのは、理性で考えないといけない」
 まだ若かりし頃、尊敬する先輩が教えてくれた。
「怒り続けるには『理性』の力が必要」だとも。
 どこまでがその人の言葉だったのか、今でははっきりしないし自分なりの付け加えたものもあるだろうが……。

 すぐに消えてしまうような「怒り」はそれは自分の単なる感情の爆発でしかない。何度も何度も自分の怒りの正当性を考えていくうちに、自己嫌悪に陥ることもたくさんある。
 後になればなるほど、その怒りが増幅していく場合もある。その時は、何に対して自分が怒っていたのかが、だんだんとずれてくることがある。
 そして思うのだ。「これは怒らなければならないのだ」と。
 一呼吸おくどころか、1日2日その「怒り」を心の中で転がし続ける。
 全くもって不愉快な時間だ。
 それでも怒らなければならないことである、と思った時には、しっかりと「怒り続け」ないといけない。
 しかし、往々にして、怒り続けることに疲れてしまい、いつの間にか自分の中でウヤムヤにし、「そんなことで怒ってもなぁ」と怒りの収めどころを探していることの方が多い。

 感情を表すことはよくないことではない。
 怒りはとても大切なんだ。
 
 だからこそ、その怒りと付き合う術を自分の心の中に培っていかなければいけないと思う。
 何でもかんでもウヤムヤにする、曖昧にする、表面的な「笑顔」」でごまかすことが多い今の社会。
 逆に、所構わず怒りをぶつけることが多い今の社会の中にあってこそ、だ。

 と、こんなことを書いているのも、理不尽な怒りをぶつけられた、という話を聞いて、腹が立って仕方がないからなのだ。
 落ち着け、落ち着け!
 そう自分に言い聞かせるかのように今、iPadの画面に向かっている。

 深呼吸が必要だ。

 正体のわからない感情と向き合うことの難しさ。
 それはとってもしんどいことだし、怒りや悲しみ喜び……、そうした感情は簡単にわかるものではない。

 それでも、そうした複雑な気持ちを丁寧にすくい上げられる両手を持ちたい。

「最近は職場で何か困った時があってもジョブコーチなんか思い浮かべもしなかったでしょ?」
 その僕の問いかけに彼はちょっと答えにくそうな顔をしながらも「はい…」と言った。
「それでいいんだよ。僕たちはボツボツ消えていく時なんだから」と僕は続けた。そして「仕事の事は職場の○○さんや××さんがいるし、保健室の△△さんもいる」「困った時には、そうした人たちを頼っていけばいいんだから」と。

 彼はこの春、特別支援学校を卒業してA社に就職した。
 手帳は精神保健福祉手帳。
 家庭や学校はとても心配をしていた。
 事業所はこれまで障害者雇用に取り組み、社内には複数名の企業内ジョブコーチも配置しているが、最初は家庭や学校との連携や生活面のサポートなどから、訪問型ジョブコーチとしてまずは僕たちが支援に関わることになった。

 1週間に2回の現場支援が1週間に1度。更には2週間に1度。そして1ヶ月に1度…という具合に少しずつ少しずつ支援頻度も時間も減っていった。
 メンタル面での負荷がどの程度なのか?
「大丈夫です」という本人の言葉は本当に大丈夫なのか?
 等々、職場としても手探りの状態が続いていった。
 それでも、少しずつ、職場の丁寧な関わりや気遣いの中で、彼の「大丈夫」という言葉に対する信用が生まれていき、そのうち、伝えるべきことははっきりと伝えていくようになっていった。

 こうなると我々の出番はなくなってくる。
 家庭での様子や気がついたことなど、些細なことでも拾い上げ、この先のトラブルとなり得るようなことがあれば、テーブルの上に出しておく。
 あれほど就職前に心配していた家族も、すっかり安心している様子だった。

 勿論、この先、何もないわけはない。
 しかし、この時期で一番大切なことは、何かあった時に会社内でしっかり相談でき、一緒に考え、解決の方法を一緒に考えてくれる場所をつくっておくことである。
 そして、何かあった時には、そうした場所を活用できるようにすることだ。

「今日の会議の目的は、僕たち外部のジョブコーチは○○さんには必要がなくなったので、これまでやってきたことをしっかり整理し、将来的な課題となるであろうことを○○さんと会社の方に伝えることです」

 本人、総務の方々、そして現場の方々。
 3月、4月の様々な心配事が笑い話になった日だった。
「良い会社に入れた?」
「はい」
 そういう彼の言葉がとても嬉しかった。

 2007年からスタートしたくらしえん・しごとえんの職場適応援助者養成研修も2020年3月末の時点で、研修開催は34回、修了生は1,500名以上となった。
 たった6日間の研修、それだけでジョブコーチがなんなのかをとても伝えきれるものではなく、この研修は「職場適応援助者助成金」を受給するための「要件」の一つに過ぎない。つまり、この研修は「職場適応援助者」として活動することを前提とした研修なのである。ジョブコーチとしての活動をするためのスタートラインに立つための研修ということをどれだけの人が理解しているのだろうか?

 しかし、ここ何年かは「就労支援の基礎研修」的色彩が強くなってきている。
また、「職場定着支援事業」の加算研修ということもあり、これまで就労支援の経験が全くなかった福祉事業所の受講希望も多くなってきている。
 実際、助成金額面からもジョブコーチ支援事業だけで、到底成り立たない。
 また、福祉サービスの「充実」もあり、訪問型職場適応援助者はその数も減少している。
「訪問型職場適応援助者は絶滅危惧種!」などと自嘲気味に言うこともある。企業在籍型職場適応援助者がいれば良いのではないか? 等という声もあるようだが、決してそんなことはない、と思う。
 しかし、実際数は減っているのだから、少数派の意見として多数の中に埋没していきそうな危機感を抱いている。

 訪問型職場適応援助者(ジョブコーチ)の存在意味をはっきりさせていくことがこのような混沌とした時代の中で、とても重要だと思うし、思っていることをどんどん伝えていくことが必要だと思っている。

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 日曜日に事務所にやってきた彼はいたって普通の青年だった。
 礼儀正しく、話し方もしっかりしていた。高校を卒業し一般企業に正社員として採用され、6年になるという。
 先週事務所に電話が入り、「発達障害と分かって会社に伝えたら、契約社員でないと雇用はできない」そう言われたというのだった。
 とにかく事務所でゆっくり話を聞きます、となったのだった。

・部署が変わってから仕事で注意されることが増えた。
・自分自身も発達障害かもしれないと思い発達障害者支援センターに行った。
・検査をした結果、発達障害の疑いがあるということで医療機関の受診を勧められた。
・受診の結果『発達障害』と診断を受けた。
・その前後、精神的にも落ち込み、うつ状態になり1ヶ月の休職をすることになった。
・会社には、休みのことと発達障害の診断を受けたことを伝えた。
・先日、会社から「復職できるかどうか医者の診断がほしい。また、会社に戻るとしたら、正社員ではなく契約社員となることを了解してください」と言われた。

 ということだった。
 会社は産業医と社労士と相談をした上での話だということだ。
 …………
 え? え? え? え????
 途中何度か確認をした。
 これまでに仕事のことで注意を受けたことの有無や、契約内容の変更についての話し合いの有無等々。
 本人にしてみれば、何度か仕事のミスで注意を受けたことはあるけれど、ということだった。勿論本人の話しか聞いていないから判断ができる状況ではなかった。

「どうしたいの?」と聞いた。
彼は、身分の変更の事と発達障害の診断の事がリンクしているのだろうか、「会社を続けたいという気持ちは薄くなってしまった」と言った。

 差別禁止と合理的配慮の提供義務
 この資料を印刷して、あくまでも「一般論」として彼に説明をした。
 会社の負うべき義務。
 社員と会社の話し合いの大切さ。etc etc

 彼に伝えたことは
「色々と考えてしまうだろうけれど、まだまだあなたの人生はこれから。一生懸命に考えて、向き合うことが大事だよ」
「あなたの考えや感じたことは、間違っているとは思えない。勿論会社の言い分もあるだろうけれど、もし、会社に対してどう言えばいいかわからなければ、また、相談に乗るから」
「まずは、家に帰って自分で考えてみて」と。

 その日の夜、母親から電話が入った。
「ありがとうございます。とてもスッキリしたようです。自分の感じたことは決して間違ってはいないんだ、と思えたんだと思います」と。
 このお母さんこそ、10数年前にジョブコーチ支援で関わった方の母親の友人とのこと。
 今回のことを相談した時に、その母親から「だったら、くらしえんに相談してみたら」と紹介されたのだそうだ。

 会社と今週、復職にあたって話し合いをするとのことだ。
 その後、どうなったのだろう?

 頑張れ、頑張れ!
 サポートが必要だったら、いつでも連絡しておいで!

 障害者雇用の現場にあっては、実に様々な要因が絡み合い、決して計画通りにはいかないことが多い。また、十分なアセスメントがなされ、マッチングがはかられ、受入体制がしっかりしている所からはまず声はかからない。
 そうしたしっかりとした流れをつくることこそ、就労支援の基本であり、そうした流れがしっかりとできてきている事を随分と感じるようになってきた。
 しかし、我々に依頼が来るのは、「適応上の課題」があるからこそ、である。
 課題があるからこそ、声がかかるのだ。

 3月。
 事業所から、精神保健福祉手帳を持っている人のジョブコーチ支援を依頼され支援がスタートした。トライアル雇用と同時。支援期間は6ヶ月。
 支援が始まってすぐにコロナウィルス感染拡大の影響が出てきた。
 業務が固定化されず、その日にならないとスケジュールが立たないという状況。しかも本人は就労経験もほとんどなく、業務内容も初めてであり、明らかに苦手な作業である。
 どうして雇用したの? と言っても仕方がない。
 様々な理由があっての雇用である。
 少なくとも関わる以上はどうすることが本人のため、事業所のためになるのか、を必死になって考える。

 固定化されない日替わりメニューのような毎日が続く中、試行錯誤をくり返したが、八方塞がりの状況。打開策が見いだせないまま3ヶ月が経過しようとしていた。
 思い切って、職場を本社から変えることを提案し、事業所との調整に入った。
 しかし、新しい職場は雇用経験も少なく、現場の職員の方の不安感はとても大きいものだった。
 それでも、本人の能力の見定め、伸びしろをはかるためには、「環境側の固定」が重要となる。
 そして作業指導については、ジョブコーチが全面に出ることとした。

 いよいよ新しい職場での仕事のスタート。
 その日から、毎日、支援終了後zoomを使ってミーティングを行った。
 支援状況の報告のみならず、写真や動画を見ながらチェックしたり、その場でスケジュール表などを作成したり、と。
 現場に出ているジョブコーチには、翌日の現場でのポイントや声かけの内容や事業所に依頼することなどを整理する。
 別のジョブコーチは家庭訪問や連絡を通して、状況の確認をしたり、支えてほしい点、声かけのポイントなどを相談する。支援機関の支援員には現状の報告と今後の方向性の意見交換をする。
 本社に対しては、基本的な方向性の確認を要所要所でおこなっていく。

 ジョブコーチとしての「意地」もある。
「何としてでもしっかりとした方向性を見いだす!」
 そんな強い思いが毎日を支えている。
 大まかな方向性を堅持しつつ、日々の微調整を繰り返す中、
 作業手順をしっかりと覚えることができた。
 ジョブコーチの介入もほぼなくなってきた。
 作業時間も確実に短縮できてきた…。という所まできた。
 後は、一人でどこまで仕事ができるのか?
 ジョブコーチのフェイドアウトとその時に表出する課題と対処方法がポイントとなってくる。

 今日の支援後のミーティングでは、「どうしてAさんは変化したんだろう?」ということを話題にした。
 様々な要因があげられたが、「ジョブコーチ支援の原点」に立ち返った支援であったと思う。


 事実を正確に捉える。
 見えていないところを見つける。
 日々、PDCAを回していく。そのために回らない要素を探す。回すために必要な対策を練る。
 本人へのアプローチ、環境へのアプローチ。
 視覚化された資料、本人にとってわかりやすい指導方法。
 適切な負荷。
 タイミングをのがさないアドバイス、振り返り。
 上辺だけではない心からの評価。
 成果の可視化。
 そして、何よりも一緒に頑張っていこうというジョブコーチの本人、仕事への思いが伝わるのか……。
 行き着くところは養成研修や色々な本にも書かれている当たり前のことなのだが。

 もう一つ。
 今回、とかく一人で悩みを抱えることが多いジョブコーチだが、現場をどのように共有していくのか、「チームとしてのジョブコーチ支援」ということを色々と考えるようになった。
 その共有方法を可能にしたのは、zoomやNASなど活用によるところが大きい。zoom自体は一年以上前からコチョコチョ触っていたが、この間の社会情勢の中で、自分だけではなく組織としての活用が加速した。

 支援はまだ終わっていない。
 研修でよく「ジョブコーチは支援に入った時から消え方を考える」と口にするが、その「消え方」を考えられるようになってきたのは、大きな山が越えられたからだと思う。
 この間、事業所の方々にも大きな負担をお願いしてきた。
 ジョブコーチから事業所へと「主体」の移行も見えてきた。

 勿論、この先も何が起きるかはわからない。
 しかし、当初の目標である、変化の少ない場所で本人の能力やのびしろを見ることや、得意不得意を事業所、そして何よりも本人が見つめられるようになったことが大切である。

 トライアル雇用終了まであと2ヶ月。
 その時に本人はこの職場をしっかりと選ぶだろうか?
 仕事との向き不向きもあり、「選ぶ」時には色々と悩むのだと思う。
 しかし、その悩むこと自体がとても大切なことだと感じてもらえればと思う。

 先が見えずに誰もが不安を抱きながらの日々が続いています。
 ふと思い出した詩があります。「春について」という詩です。

「冬はむしろ ほんものを許すいい季節だ。」と。

 この大変な時代も、必ず「あの頃はね…」と語る日が来ます。
 その時、どんな自分であったのか、この時代の中で私たちがどう懸命に生きたかを語れるようになりたいと思います。

 この詩と出会ったのは大学時代。
 もうずっとずっと昔のことです。
 普段は思い出すこともありませんが、何かの拍子に突然、どこからともなく、その一節が浮かんできます。

 もう一度、この詩と出会った頃の自分を思い出しながら…。

『春について』     土井 大助

だれもがうたがうものはない。
今冬だということ。
冬のあとには春がくること。

 だが 君はしっているか。
 春はどんな顔をしているか。
 どんな歌をうたうのか。

すぎされば 青春はいっとき
人生だって……たぶん……
たしかに だまってたって春はくる。

  けれども そんな
  のっぺらな春の中で
  きみは泣けるか 笑えるか。

しゃんとした春を彫刻するなら
この冬の壁にノミを打たねば。
はればれと春の歌がききたいなら
まず この凍った土を掘りおこさねば。

  喜びの友情はにぎにぎしく
  つらいときの友情はみにしみる。
  冬はむしろ ほんものを許すいい季節だ。

ぼくらの この時代を
のちの世の人々は語るだろう。
だがまず ぼくら自身たっぷりと語ろう。

  どんな冬があり 春があったか。
  つらい冬のなかで春が
  どんなにけなげに燃えたか。

 そして 冬からはるにかけて
 青春も人生も けっして
 いっときなどではなかったということを。

(詩集「十年たったら」より)

関係各位

特定非営利活動法人くらしえん・しごとえん
事務局長 水野 美知代

お知らせ

 当法人 代表理事鈴木修の母上、鈴木鈴子様が3月10日21時15分、心不全にて享年92歳にて逝去されました。
 ご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。

1.通夜 3月13日(金)18時~
 富士葬祭浜松中央2階(浜松市中区中沢町85-5)
2.葬儀・告別式 3月14日(土)10時~
 近親者のみで執り行わせていただきます。
3.喪主  鈴木 修(長男)
4.宗旨  神式

「もういい、もういい」と眠りから覚めると、母はほとんど聞き取れない声で何度も言った。「もう、たくさん生きた。しんどいのはもういい」というのだった。先月中旬から心臓の苦しみを訴えて救命救急に搬送され、何度か持ち直すかに見えたが、母の心臓は、着実に動きを止めるその時に向かっていた。
 昨晩9時15分。母がこの世を去った。昭和2年生まれ、91歳だった。

 母は長年心臓弁膜症を患っていた。手術もせずに薬でなんとかしのいできたが、2003年、皇居ボランティアに出かけた際に倒れ、急遽東京の病院に入院することとなり、その時に人工弁の手術を行った。
「人工弁は15年ほどで変えないといけません」と言われたが、その当時は、15年後の事など考えもしなかった。
 それから、15年経っても、母の心臓は頑張って動き続けていた。
 頑張って頑張って動いてきたのだろうが、90年以上に渡って母の命を刻み続けてきた心臓は、とうとう寿命となったのだった。
「天寿を全うする」とはまさしくこういうことだろう。

 自分の近しい人の命が突然奪われるのではなく、母の場合は、その時に向かっていく時間は、自分や家族に「死」と向き合う気持ちの準備をする時間でもあった。
 特に母が大好きだった姉や、母がいなければ何もできない父などは、自分以上に時間が必要だったのだと思う。

 3月22日は、母の誕生日だった。
 誕生日を祝うことも、もう一度桜を見ることも、ウナギを食べに行くこともかなわない。
 90年以上にわたる母の人生は幕を閉じた。
 母につながる自分の人生。そして、自分につながる人生。
 あくことなく繰り返され、つながり続ける人生。
 改めて命の重さ、一人の人生の重さを思わないではいられない。

 折しも今日は3月11日。
 多くの人の命が一瞬にして奪われた東日本大震災から9年。
 今、ここに生きているすべての人の命を愛おしく思う。

 新型コロナウィルスによる非常事態。いろいろなところに大きな影響を与えていますが、私たち一人一人の行動が改めて問われているのだと思います。そのような中、学校も突然の休校となり教育現場は混乱を極めています。
 この対策の是非については、時間の流れの中で検証されることだと思いますが、今回の学校の休校に関して思い出したことが一つあります。
 それは今からおよそ30年前の1989年に国連で採択され1990年に発効した「子どもの権利条約」です。

 その一般原則の一つに「子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)」があります。「意見表明権」といわれるものです。
 今回の決定は「緊急事態」ということでの対処であり、結果的には同じ事になったかと思いますが、それでも「いきなり」ではあまりにも子どもや生徒たちのことがおきざりにされているのではないかと感じます。
「子どもたちは大人の決めたことに黙って従えば良いのだ」という発想につながっていきます。

 卒業式や終業式は他でもない、生徒たち自身のものであり、とても大きな出来事です。
 大変な状況であるからこそ、置き去りにされるのではなく、自分たちの問題として考えたり、自分たちの思いを語る機会は必要なのだと。

 2006年に採択され、2008年に発効した「障害者の権利に関する条約」。
 その時の運動のスローガンである「私たち抜きに、私たちのことを決めな いで(Nothing about us, without us)」という言葉と重なります。

 同時に、今の自分自身にドキッとしました。
「お前は傲慢になっていないか?」と……。
 そんなことを考えてしまいました。